へんてこ論(「橋下徹の研究」2012年11月14日~)

ブログ『ART TOUCH』から独立 暫くの間、《橋下徹VS朝日の最終戦争》の記事を連載

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橋下維新と石原太陽の分党の原因

誰もが理解しようとしない。分党のことばかり考えるから分からなくなるのだ。合流の理由が分かれば、分党の理由も分かる。

合流の理由はなんだったのか。誰もが野合だと言っていた。私も当初は相思相愛のできちゃった婚だとおもっていた。合流の記者会見では、橋下徹は初めて前髪をあげ、頬を染めて石原を見つめていた。

橋下が石原に惚れたのは中央と戦う地方政治家としての石原の姿にだ。役人上がりの宦官ヅラした知事たちの中で石原は倒幕の志士に見えたのだろう。松井幹事長は、石原代表は自分たちの師であり、別れることはないと明言していた。

分党の理由は自主憲法や集団自衛権の問題ではない。表向きはそうだが、本当の原因は旧太陽が改革派ではなかったことだ。しかし、結の党は改革派である。維新と同じように小さな政府を志向している。行政機構の改革のために憲法改正に賛成している。

集団自衛権の問題だって行政機構の問題だ。内閣法制局が憲法解釈の権限を握っている。その他もろもろの立法司法行政上の欠陥を橋下徹は地方行政の首長として熟知している。そして江田憲司も元官僚として彼らの手口は熟知している。それにくらべ石原慎太郎はロマンチストの文学者であり、新銀行をはじめ都知事としての失政は数限りない。

分党後の橋下徹は元気になったような気がする。石原さんに気を使いすぎたと言っているけれど、そんなこと気にせずに、ツイッターを再開して、新聞が伝えないことをどんどん書いて欲しいものだ。





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2014.07.04[Fri] Post 16:09  CO:0  TB:0  未分類  Top▲

いい気になるな! 乙武さん

乙武さんの社会的発言を読むといつもイヤーな感じがする。このイヤ~な感じはベストセラーの『五体不満足』を読んだときから一貫している。母親の「あら、可愛いじゃない」という感動的な言葉のわりには、その後の文章がつまらないのだ。これがベストセラーとは腑に落ちない。みんな本当に最後まで読んだのだろうか。

このイヤーな感じをどう表現していいのか難しい。イタリアレストラン事件で炎上のキッカケになった「車椅子に乗った王様」と言う批判は、「弱者の横暴」という一番重要なポイントをついていた。しかし、公平に見ればイタメシ屋の横柄な態度との争いであり、わたしの「イヤ~な感じ」とは少し違う。


こういう時はナンシー関なら何というか考えてみればよい。幸いナンシー関なら必ずオチョクルだろう箇所を見つけた。バッシングに対する弁明の最後の部分だ。件のレストランは本当に美味しそうだから一度食事に行きたい、そのときは誤解を解いていっしょに写真をとって飾ったら素敵だろうなと書いている。来店した有名人の写真をサイン入りで飾るレストランがある。これってセレブ気取りではないのか。ナンシー関なら「何様のつもり」と言うだろう。
2014.03.22[Sat] Post 17:56  CO:0  TB:0  未分類  Top▲

スニーカーを履いたファシスト

ファシズムというのは「束ねる」ことだという。そうであるなら、小泉・細川両元首相はファシスト・コンビということにならないか。「原発ゼロ」で国民を束ねようとしている。

そう思って小泉純一郎の細川都知事候補の応援演説を聞いて見ればヒットラーそっくりだ。拳を握って短いフレーズを畳み掛けるよう繋げていく。演説は終末論から日本再生の約束だ。聴衆の拍手歓声はほとんどドヨメキになる。

現代のファシズムは軍靴ではなくスニーカーを履いて忍び寄る。石破幹事長がブログ(2013年11月)に特定秘密保護法案に反対する国会周辺のデモに関して「主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者を一人でも増やし、支持の輪を広げるべきなのであって、単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらない」と書いた。

翌日、朝日新聞は「表現の自由に基づく街頭での市民の主張をテロと同一視したことは問題になりそうだ。」(強調安積)とまた騒ぎにしようとした。それ対して石破幹事長は「整然と行われるデモや集会は、いかなる主張であっても民主主義にとって望ましい」と述べ、さらに付け加えて、「一般の人々に畏怖の念を与え、市民の平穏を妨げるような大音量で自己の主張を述べるような手法は、本来あるべき民主主義とは相いれない」とも指摘したそうだ。

なんか変だ。これでは絶叫戦術やスピーカーを大音量にしなければテロじゃないみたいだ。そうではない。ファシズムは軍靴ではなく、スニーカーを履いて音もなくやってくる。デモはもともと示威行為だからファシズムにつきものだ。右だけではない。左のファシズムもデモをする。市民運動は現代のファシズムであり、菅直人こそスニーカーを履いたファシストだ。

官邸前デモの「代表者」を野田首相に面会させたのは菅直人の手引だった。デモの参加者はみんなツイッター見て会社帰りや、子供のことが心配な母親が自然に集まった普通の市民だとマスコミは繰り返し強調したが、シュプレヒコールの音頭を執っているのは明らかにプロだった。そもそも「代表者」なんてどうやって選んだのだ。面会後に記者会見した女性は肩の刺青をこれみよがしにノースリーブを着ていたのはもちろん一般市民の雑多な集まりに見せるためだ。

この面会に民主主義の手続きから言って疑義を呈したのは橋下大阪市長だけだった。文字通り一人だけだった。あの普段は冷静な高橋洋一さえもしこれで政治が動いたら戦後初めての民主主義の勝利だみたいなことを言っていた。橋下市長が判断を謝らなかったのは毎日のようにデモ隊に押しかけられている経験があるからだ。

選挙では原発推進派の安倍自民が圧倒的に勝利して官邸前デモは失敗したように見えた。しかし、ソフト・テロリズムとしては完全な成功だった。テロというのは恐怖のことだ。反原発デモが鉦や太鼓やコスプレで始まったとき、テロとは関係がないと思われた。しかし、すでに工作員に乗っ取られていたのだ。彼らのテロは虐殺や破壊のかわりに放射能に対する恐怖を植え付けることだ。

彼らの第一のターゲットは長崎大の山下俊一教授だった。山下教授は「リスクコミュニケーション」の専門家であり、二本松市の説明会では「ニコニコしてれば放射能は来ません」と言って放射能への根拠の無い恐怖を持たぬように言った。彼は広島長崎やチェルノブイリのデータを持っていた。チェルノブイリで死んだ多くの人は放射線被曝によるものではなく、避難などのストレスによるものだった。(消防隊員や甲状腺ガンの問題はここでは論じない)

振り返って、Youtubeや新聞ネットの情報を読み返してみれば、彼らがいかに山下俊一教授の追い落としを組織的に謀ったか分かるだろう。いずれ歴史の資料としてまとめておく必要がある。リスク・コミュニケーションの資料として貴重なものになる。例えば、山下教授の「ニコニコしてれば放射能は来ません」とか「福島はなにもしないで広島長崎より有名になっちゃった」という発言の意図は笑いによって放射能の恐怖でノイローゼになっている避難住民をリラックスさせるためだ。これは山下俊一監修の『リスク・コミュニケーション』の中で「落語の枕」という言葉で言及されている。

残念ながら山下教授のリスク・コミュニケーションは福島の住民にはある程度成功したが、日本全体で見れば必ずしも成功したとはいえない。彼の努力にも拘わらず、政府当局者が不必要に厳しい基準を儲けたためである。そこを武田邦彦という二流の学者に「事故が起きてから基準を変えるのはおかしい」と虚を衝かれてしまった。自然放射線よりも高いということは何らかの人工的な放射線源があるわけだからそれに対して注意しようということなのだろうが、基準値を越えると癌になるとテロ(恐怖)を煽り立てられてしまったのだ。それを武田邦彦に利用されてお小遣い稼ぎをされたわけだ。

反原発集団の放射能恐怖(テロ)は東京都で山本太郎議員を誕生させ、さらにこんどはファシスト小泉の応援で細川都知事の誕生を目論んでいる。

同じことが「特定秘密保護法」反対デモに言える。彼らは特定秘密保護法は戦前の治安維持法と同じ恐ろしい法律だと恐怖(テロ)を煽り立てている。しかし、治安維持法はそんなに悪法だったとは思えない。普通選挙法を施行すればロシア革命の影響を受け左派政党が議席をとり、日本が赤化する恐れがあった。それで治安維持法によって社会主義思想を弾圧しようとしたのだ。ようするに民主主義を守るための法律だった。当時としては画期的な法律だったのだ。

治安維持法はバテレン追放令に似ている。江戸時代に幕府がキリスト教を禁止したのは日本と言う国を破壊する恐れがあったからだ。キリスト教は欧米のアジア植民地化の先兵だった。治安維持法は社会主義者を弾圧するためのものだ。主義者たちはコミンテルンの指令を受けて日本を赤化しようとしていた。治安維持法もバテレン追放令も転向したり転んだりすれば助けてもらえる。宗教の自由など持ちだしても無駄だろう。日本にとってバテレン追放令が役だったように、治安維持法も日本を赤化から守ってくれた法律だ。それをGHQが廃止してしまった。

「ファシズムは民主主義である!」と封建主義者の呉智英は言った。 正確に言えば「現代のファシズムは民主主義を擬態して現れる!」 殺戮や破壊ではなく情報テロによって恐怖を与える。被曝の最大の被害者は感受性のつよい子供だ。いつ癌になるか分からない。秘密保護法が出来ると我々は一望監視装置に入れられたように常に監視されることになる。戦前の治安維持法のように暗黒時代がやってくる。軍靴の足音が聞こえる等々、すぐばれる嘘を繰り返す。誰もがデーターなしで繰り返す。 新聞は一面に大見出し、ツイッターはRTで氾濫する。

現代の「情報テロ」とは通信機器やシステムを破壊したり、秘密情報を盗み出すことではない。恐怖によって嘘の情報を真実にすることだ。嘘も百回繰り返せば真実になると俗にいう。しかし、情報テロは嘘を繰り返すだけではない。恐怖や不安を呼び起こすような嘘を繰り返すことだ。

ツイッターは「情報テロ」に好都合なSNSだ。たまには2ちゃんねるを覗いてリフレッシュしましょう。

2014.01.31[Fri] Post 11:18  CO:0  TB:0  ファシズム  Top▲

ワタミの従業員も飛田新地の従業員も接客奴隷ではない。

以下の文は『東海林さだおと渡邉美樹』と題した記事の再掲です。「ブラック企業大賞」という愚劣なサヨクのはしゃぎぶりに腹を立てて再掲する。此処には私の人生のすべてが入っている。



   『東海林さだおと渡邉美樹』

渡邉美樹の公認を取り消そうという動きが自民党にあったらしい。ワタミがブラック企業だと批判する声が高まり、票が減るのを恐れたためだという。ブラック企業大賞のノミネート発表と称する記者会見を見たが、こんな人民裁判のようなことを勝手にやっていいのだろうか。

ワタミは居酒屋革命というより「接客業革命」だ。チェーン店なら北の家族やむらさきがあるけれど、とくに新しいビジネスモデルとは思えない。そのうち、ワタミという居酒屋の名前を頻りに聞くようになった。店員が注文を聞くときに片膝を突くとか、社長の渡邉美樹が学校法人の郁文館を買って教職員組合と激しいバトルを繰り広げているとか、自社の農場で野菜を作るとか、介護施設を作って「おばあちゃんっ子だったから老人臭が大好きだ」と言ったとか、いろいろ「エキセントリックな話」が伝わってきた。

ワタミを利用したことがあるけれど特別の印象はなかった。他の店とちょっと違うと思ったのは、退職してニョウボと美術展巡りを始めてからだ。帰って食事を作るのも面倒だから外食をするようになった。違いはメニューや内装などいろいろあるのだが、なにより従業員の接客態度が違う。アルバイトはともかく、店長が他とはまったく違う。

接客態度と言えば東海林さだおの漫画を思い出す。食堂の店員がラーメンを運ぶとき丼に親指を突っ込んで店主に叱られる。すると店員が「グヤジー、ヤメてやる」と言って前掛けをとる。店主が慌ててなだめる、なんて漫画があった。今は無くなったらしいが、上野の聚楽の食堂はそういう雰囲気が残っていて、そこでビールを飲むと妙に落ちついた。

そんな人手不足の時代があった。何時頃からか接客態度が巷の話題になるようになった。割烹店や寿司屋が昔からそんなに威張っていたのか。最近では旅館の「おもてなし」がクールジャパンだと騒いでいた。なんでも外国人観光客の目玉にするというのだ。板さんの料理がどうのこうのと女将が説明するけれど旅館の料理はどこも同じだし、フランス料理のシェフに料理の説明をされても早口でチンプンカンプンだ。ファミレスの接客がマニアル通りだと笑いものにされたこともある。

そんなとき片膝をつくというワタミの接客態度にはさすがにみんなギョッとした。ニョウボの話では今はそんなに極端ではないらしい。接客業というのはテキパキやると、どうしても慇懃無礼になりがちだ。目障りで落ち着かない。ワタミの店長の身のこなしはわざとらしいところは少しもない。ニョウボが友達と二人で食事をしていたとき、四人組に席をゆずって、店長に「一割引きね」と冗談を言ったら会計のとき本当に一割引きにしてくれた話は前にした。他の居酒屋チェーン店では空いた席があっても客をはじから押し詰めるところもある。

客を見ればワタミがいろいろな接客サービスをしていることがわかる。外食業といっても元は居酒屋だからもちろん会社帰りのサラリーマンが多い。家族連れがいる。大学生仲間がいる。ニョウボのようなお婆さんの二人連れがいる。面白いのはカウンター席で、単身赴任だろうボトルキープした焼酎を割って飲みながら食事をしている。明らかに浮気中のカップルがいる。これらの客を力むこと無く普通に接客していくのは並大抵のことではない。

そのことを知っているから、ワタミのサイトに掲載されたというパート・アルバイト募集の広告を見ても驚かなかった。写真のモデルの「従業員の目がヤバすぎる、痩せて過労死しそうだ」と2ちゃんねるが炎上したとき、すぐに言いがかりだと判った。「目がヤバい」というのは広告写真ではよく使われるキャッチライトで、漫画の主人公の目に星がキラリと輝いているのと同じテクニックだ。確かに痩せてはいるけれど、過労でも拒食症でもなく至って健康な肌ツヤである。

印刷されているアルバイターの言葉も、たしかに宗教の入信体験のようだが、これもサプリメントの広告のお客様の声みたいなもの、「修行搾取」というほどの事もない。戦後の高度成長のころ創業者社長の無茶苦茶な経営哲学はたくさんあった。それらの企業の中でマーケットの競争で生き残ったのが非財閥系の大企業になったのだ。

ワタミは接客業の革命である。ファミレスともファーストフードとも、寿司屋とも割烹店とも、キャフェーのギャルソンともフラン料理のシェフとも、どれとも違う。渡邉社長の話を聞けば接客奴隷のように思えるが、そんなことはない。ワザトラシイところはひとつもない。腰が低いわけでもない。営業用のニコニコ笑いをするわけではない。とくに気を使うわけでもない。要するに普通なのである。

ワザとらしいところがないのは料理も同じだ。サラダはフランス料理のように彩りが良いわけではないが、食べれば新鮮でおいしい。ワタミはたぶん昔の食い物屋の伝統を受け継いでいるのではないだろうか。「24時間死ぬまで働け」というのだって、昔の食い物屋稼業だったら当たり前のことだった。渡邉美樹自身が最初の店の開店時はそうやって働いたのだろう。それは同じ外食産業のファミレスのマニュアル方式の接客サービスや料理と比較すれば一目瞭然である。

過労で自殺したというワタミの従業員の両親の記者会見を見た。母親が娘の遺影を抱え、父親が怒りを込めて抗議文を読み上げるのだが、これまで何度も見た光景でなんとも遣り切れない気持ちになる。福島原発事故のとき長崎大の山下俊一教授が殺人者と罵られていたのを思い出す。

ワタミ側の当初の対応がまずかったことも間違いない。ワタミの接客業革命は昔の食い物屋稼業の気持ちを生かしたものだ。しかし最早、個人商店ではなく一部上場の大企業なのだから、社長の生の経営哲学ではなく、労務コンプライアンスに応える体制を整えておかなければならない。海外でも店舗展開をしているそうだが、それなら尚さらのこと法令遵守だけではなく、国や文化そしてその時代に相応しい経営をしなければ、結局は市場で淘汰されてしまうだろう。

渡邉美樹と橋下徹を批判しているのは同じ新自由主義に反対するグループだ。サヨクの人権利権団体と保守の反改革派が反新自由主義を旗印に密かに結託している。二人に逆風が吹いているのではなく、そう言って二人を追い落とそうと組織的な運動を展開している。渡邉美樹は出馬記者会見で記者から維新、民主党、自民党とそのときどきで変わっているのはどうしてだと言ったような意地悪な質問(よく聞こえない)を受けていたが、渡邉さん政治理念は一貫して保守改革派であり、自民よりも維新に近いと思う。政権をとるまえの小沢民主は保守改革派だと思われていたし、安倍自民党も今のところは保守改革であるが、本質的にはいわゆる「真正保守」だ。

唐突だが、橋下徹と渡邉美樹と堀江貴文はミルトン・フリードマンの『資本主義と自由』で繫がっている。堀江は橋下総理待望論者である。橋下は自分で政治結社日本維新を組織している。渡邉美樹は安倍自民に期待している。しかし自民党が勝てば渡邉は失望するだろう。橋下は今の安倍自民の改革ポーズは選挙用の擬態だと思っている。改革は自分たちしか出来ないと思っている。それは正しい。しかし、だからこそ維新は永遠に政権は取れないだろう。既得権者は今や有権者の半分以上になっている。既得権を持たないものは選挙にいかない。そして、堀江はいつでも国を捨てるつもりだと、すでに国を捨てた村上世彰に言っている。

橋下徹はこれまで何度か「そんな日本に住みたくはない」と言っている。自分で自分の国を守ろうとしない国なんかに住みたくない」と言った。そして、日本の名誉、日本国民の名誉を守るための慰安婦発言で世間のバッシングを浴びた。こんなことをいつまでもしていたら、橋下徹は本当に日本を見捨ててしまうだろう。

2013.08.12[Mon] Post 14:03  CO:0  TB:0  未分類  Top▲

三重苦の女 曽野綾子 (『曽野綾子は佐野眞一より卑劣である』4/22再録)

『曽野綾子は佐野眞一より卑劣である』の記事を書いて以来、我が家では、と言っても老夫婦二人だが、曽野綾子さんを三重苦の女と呼んでいる。曽野さんは慈善家で、信仰者で、文学者だ。三つとも政治を理解しないことでは共通している。

私が曽野綾子批判を書いたあとに桜宮高校体育科の自殺事件が起きた。よせばいいのに曽野綾子さんが例の調子で偉そうに口を出した。

「私が驚くのは、顧問といい市長といい、自分の影響で人を変えられるという信念に満ちていることだ」(産経新聞)


顧問も橋下徹も人間を変えるなんて一言も言っていない。顧問はバスケット部が全国大会で勝つために体罰をした。ひとは認めたくないだろうが体罰の効果はそれなりにあった。人が変わろうが変わるまいが顧問にはどうでもいいことだった。それに対して橋下市長は二度とこんな事件が起きないようにするためにはどうしたらいいかを考えた。弱者は誰か。受験できなくなった受験生でも、全国大会にでられなくなった在校生でもない。弱者は自殺した生徒だ。そして生徒の両親だ。橋下市長は両親に「体育科の入試を中止したらご両親が批判されるがそれでも良いか」と確認をしている。そして体育科の具体的な制度設計は教育委員会や専門家に任せた。これが政治だ。

橋下徹は曽野綾子に 「人は変えられるという思い込み」と言われ、意味が分からずポカーンとしていたけれど、それでもすぐに「(教育で)人は変えられると思っていないなら、教育再生会議のメンバーを辞めるべきだ」と反撃した。橋下徹が100%正しい。

この教育論争の背後には曽野綾子と橋下代表の教育観の違いがある。安倍首相の徳育重視と橋下代表の知育重視の対立だ。間違っていはいけない、徳育は強者の味方で、知育は弱者の味方だ。たとえば、ネイティブによる英語の早期教育もそうだ。補助教員の週一回では効果が限定的だろうが、本気でやれば勉強ができない生徒も英語が話せるようになる。保守派は必ず日本語の大切さをいうが、オーラルなら外国語の早期教育は母国語学習の邪魔にはならない。それより正しい近現代史の知育で「愛国心」を涵養することの方が重要だ。

曽野綾子と橋下徹の対立は根が深い。今でも実は続いている。橋下の慰安婦・風俗発言についてだ。橋下徹は世界中からバッシングを受けている。ほら見なさい、「橋下氏のアキレス腱」は不遜さだと私が言ったとおりでしょうと曽野綾子は内心思っているのだろうか。曽野さんは沖縄の集団自決にも、発展途上国の貧困からくる売春にも一家言をお持ちではないか。しかし、曽野綾子は沈黙したままだ。

昨日の西宮の演説のあと、橋下徹は「これから伊丹から東京に行ってきます」と言った。聞き間違えかなと思ったけれど、ヨメさんから外泊許可が出たのかもしれない。七人の子供がいて、ひょっとしたら生きて帰らないかもしれない夫を送り出す典子夫人の不安は如何ばかりか。男女共同参画社会だと騒いでいる女性国会議員にこんな度胸はないだろう。典子夫人は「銃後の妻」たらんと覚悟したのだ。

私は今、山本夏彦の「アカというよりほかはない」に倣って『バイタというよりほかはない』というタイトルで一文を草せんとするも果たせないでいる。




   曽野綾子は佐野眞一より卑劣である。

今日の産経新聞(10月30日)の一面に掲載された曽野綾子のコラム『橋下氏のアキレス腱』を読んで、またかと思いながらも、我慢して最後の一文まで読んでますます腹がたった。さんざん一人の政治家を貶めておいて「私はどちらの味方でもないから、氏の生き方を楽しみに眺めるつもりだ。」と他人事のように言うのだ。

週刊朝日の事件で橋下徹を批判する論拠はほぼ共通している。それは有田芳生のTwitter「過剰権力的に他者に対応する者は自身への批判・攻撃に対して受忍の義務がある。」によく表れている。橋下徹が独裁的で強権的で敵を許さないから、このぐらいのことを言われても仕方ないというのだ。

曽野綾子はさすがに出自を暴いても良いとはいわないが、橋下徹という人物を、橋下自身の言葉から判断すると言いながら、有田芳生と同じように、悪意をもって橋下徹を見ている。曽野綾子は橋下氏に会ったこともテレビで見たこともないと言う。だから自分は客観的に判断できると言いたいのだろうが生憎である。橋下徹を理解するには公開されている未編集のビデオやHPの資料をみる必要がある。Twitterもだ。

もちろん橋下徹は曽野さんが好きな聖者ではない。しかし、映像には時間制限なしに記者たちの執拗な質問に逃げることなく答える橋下徹がいる。ときどきちょっとおかしなフリージャーナリストが紛れ込んで意味不明な質問をするが、それでも、それを理解しようとする橋下の姿がある。それを全部公開するのだ。橋下氏は何の実績もないというが、既に日本の政治に革命をおこしている。

曽野さんは「その場でねじ伏せて勝つ喧嘩は、本当の賢人のやることではない。」というけれど、喧嘩もビデオに映されている。理由ばかりか、そのプロセスも見ることが出来る。我々は裏取引や根回しや恫喝があっても知ることができない。谷垣総裁と野田首相の言い争いの真相を我々は知らない。

橋下批判者たちが一番好きな言葉は「独裁者」だ。詳しくは次回に譲るとして、曽野綾子氏も独裁者のことを書いている。橋下氏が「こんなチャーミングな独裁者がいますか?」と言ったことを捉え、「こんな幼稚な独裁者がいますか?」と言えというのだ。演説としてはちょっと稚拙だけれど、いったい曽野綾子は橋下徹が決断できる政治家のことを不用意に「独裁者」と言ったのを捉えられ、寄ってたかって罵倒されたのをごぞんじないのか。

コラムのタイトルになっている「橋下氏のアキレス腱」は不遜さだと曽野綾子はいう。何と卑劣で傲慢なのだろう。スティーブ・ジョブスの死を持ちだして、「死を前にしての人間の弱さ」という既に何度も使ったであろう無敵の修辞を使って相手を見下す。橋下徹は我々にとって何より政治家である。未熟だが将来のある政治家だ。そして、彼は戦いの準備をしている。

曽野綾子は慈善家であり、信仰者であり、小説家だ。自分はどちらの味方でもないから、橋下氏の生き方をたのしみに高みの見物をするという。しかし、新聞の一面にコラムを持つものは権力者である。まさか自分のコラムが読者に影響をあたえる力はないというのか。それは謙遜のつもりか。

いくら最後の一行で中立を装っても、始めから最後まで橋下徹を貶していることは誰にでも判る。産経の読者は保守反改革派が多い。橋下徹は保守改革派の政治家だ。今、第三極は保守の反改革派と改革派が争っている。このコラムを読んだ保守の読者が影響を受けないとは言えないだろう。それに曽野綾子は政治評論家でも政治家でもない。慈善家であり、信仰者であり、小説家でもある。影響は大きいだろう。

曽野綾子は政治家橋下徹ではなく人間橋下徹を論じたのだというかもしれない。しかし、それは佐野眞一の言い分と同じだ。最後に曽野綾子氏が佐野眞一氏の記事についてコラムの冒頭部分で述べたことをそのままお返しする。「品性の卑しい記事というものは他にもたくさんあるが、これほどのものは珍しかった。」
2013.07.15[Mon] Post 11:09  CO:0  TB:0  曽野綾子  Top▲

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