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へんてこ論(「橋下徹の研究」2012年11月14日~)

ブログ『ART TOUCH』から独立 暫くの間、《橋下徹VS朝日の最終戦争》の記事を連載

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三重苦の女 曽野綾子 (『曽野綾子は佐野眞一より卑劣である』4/22再録)

『曽野綾子は佐野眞一より卑劣である』の記事を書いて以来、我が家では、と言っても老夫婦二人だが、曽野綾子さんを三重苦の女と呼んでいる。曽野さんは慈善家で、信仰者で、文学者だ。三つとも政治を理解しないことでは共通している。

私が曽野綾子批判を書いたあとに桜宮高校体育科の自殺事件が起きた。よせばいいのに曽野綾子さんが例の調子で偉そうに口を出した。

「私が驚くのは、顧問といい市長といい、自分の影響で人を変えられるという信念に満ちていることだ」(産経新聞)


顧問も橋下徹も人間を変えるなんて一言も言っていない。顧問はバスケット部が全国大会で勝つために体罰をした。ひとは認めたくないだろうが体罰の効果はそれなりにあった。人が変わろうが変わるまいが顧問にはどうでもいいことだった。それに対して橋下市長は二度とこんな事件が起きないようにするためにはどうしたらいいかを考えた。弱者は誰か。受験できなくなった受験生でも、全国大会にでられなくなった在校生でもない。弱者は自殺した生徒だ。そして生徒の両親だ。橋下市長は両親に「体育科の入試を中止したらご両親が批判されるがそれでも良いか」と確認をしている。そして体育科の具体的な制度設計は教育委員会や専門家に任せた。これが政治だ。

橋下徹は曽野綾子に 「人は変えられるという思い込み」と言われ、意味が分からずポカーンとしていたけれど、それでもすぐに「(教育で)人は変えられると思っていないなら、教育再生会議のメンバーを辞めるべきだ」と反撃した。橋下徹が100%正しい。

この教育論争の背後には曽野綾子と橋下代表の教育観の違いがある。安倍首相の徳育重視と橋下代表の知育重視の対立だ。間違っていはいけない、徳育は強者の味方で、知育は弱者の味方だ。たとえば、ネイティブによる英語の早期教育もそうだ。補助教員の週一回では効果が限定的だろうが、本気でやれば勉強ができない生徒も英語が話せるようになる。保守派は必ず日本語の大切さをいうが、オーラルなら外国語の早期教育は母国語学習の邪魔にはならない。それより正しい近現代史の知育で「愛国心」を涵養することの方が重要だ。

曽野綾子と橋下徹の対立は根が深い。今でも実は続いている。橋下の慰安婦・風俗発言についてだ。橋下徹は世界中からバッシングを受けている。ほら見なさい、「橋下氏のアキレス腱」は不遜さだと私が言ったとおりでしょうと曽野綾子は内心思っているのだろうか。曽野さんは沖縄の集団自決にも、発展途上国の貧困からくる売春にも一家言をお持ちではないか。しかし、曽野綾子は沈黙したままだ。

昨日の西宮の演説のあと、橋下徹は「これから伊丹から東京に行ってきます」と言った。聞き間違えかなと思ったけれど、ヨメさんから外泊許可が出たのかもしれない。七人の子供がいて、ひょっとしたら生きて帰らないかもしれない夫を送り出す典子夫人の不安は如何ばかりか。男女共同参画社会だと騒いでいる女性国会議員にこんな度胸はないだろう。典子夫人は「銃後の妻」たらんと覚悟したのだ。

私は今、山本夏彦の「アカというよりほかはない」に倣って『バイタというよりほかはない』というタイトルで一文を草せんとするも果たせないでいる。




   曽野綾子は佐野眞一より卑劣である。

今日の産経新聞(10月30日)の一面に掲載された曽野綾子のコラム『橋下氏のアキレス腱』を読んで、またかと思いながらも、我慢して最後の一文まで読んでますます腹がたった。さんざん一人の政治家を貶めておいて「私はどちらの味方でもないから、氏の生き方を楽しみに眺めるつもりだ。」と他人事のように言うのだ。

週刊朝日の事件で橋下徹を批判する論拠はほぼ共通している。それは有田芳生のTwitter「過剰権力的に他者に対応する者は自身への批判・攻撃に対して受忍の義務がある。」によく表れている。橋下徹が独裁的で強権的で敵を許さないから、このぐらいのことを言われても仕方ないというのだ。

曽野綾子はさすがに出自を暴いても良いとはいわないが、橋下徹という人物を、橋下自身の言葉から判断すると言いながら、有田芳生と同じように、悪意をもって橋下徹を見ている。曽野綾子は橋下氏に会ったこともテレビで見たこともないと言う。だから自分は客観的に判断できると言いたいのだろうが生憎である。橋下徹を理解するには公開されている未編集のビデオやHPの資料をみる必要がある。Twitterもだ。

もちろん橋下徹は曽野さんが好きな聖者ではない。しかし、映像には時間制限なしに記者たちの執拗な質問に逃げることなく答える橋下徹がいる。ときどきちょっとおかしなフリージャーナリストが紛れ込んで意味不明な質問をするが、それでも、それを理解しようとする橋下の姿がある。それを全部公開するのだ。橋下氏は何の実績もないというが、既に日本の政治に革命をおこしている。

曽野さんは「その場でねじ伏せて勝つ喧嘩は、本当の賢人のやることではない。」というけれど、喧嘩もビデオに映されている。理由ばかりか、そのプロセスも見ることが出来る。我々は裏取引や根回しや恫喝があっても知ることができない。谷垣総裁と野田首相の言い争いの真相を我々は知らない。

橋下批判者たちが一番好きな言葉は「独裁者」だ。詳しくは次回に譲るとして、曽野綾子氏も独裁者のことを書いている。橋下氏が「こんなチャーミングな独裁者がいますか?」と言ったことを捉え、「こんな幼稚な独裁者がいますか?」と言えというのだ。演説としてはちょっと稚拙だけれど、いったい曽野綾子は橋下徹が決断できる政治家のことを不用意に「独裁者」と言ったのを捉えられ、寄ってたかって罵倒されたのをごぞんじないのか。

コラムのタイトルになっている「橋下氏のアキレス腱」は不遜さだと曽野綾子はいう。何と卑劣で傲慢なのだろう。スティーブ・ジョブスの死を持ちだして、「死を前にしての人間の弱さ」という既に何度も使ったであろう無敵の修辞を使って相手を見下す。橋下徹は我々にとって何より政治家である。未熟だが将来のある政治家だ。そして、彼は戦いの準備をしている。

曽野綾子は慈善家であり、信仰者であり、小説家だ。自分はどちらの味方でもないから、橋下氏の生き方をたのしみに高みの見物をするという。しかし、新聞の一面にコラムを持つものは権力者である。まさか自分のコラムが読者に影響をあたえる力はないというのか。それは謙遜のつもりか。

いくら最後の一行で中立を装っても、始めから最後まで橋下徹を貶していることは誰にでも判る。産経の読者は保守反改革派が多い。橋下徹は保守改革派の政治家だ。今、第三極は保守の反改革派と改革派が争っている。このコラムを読んだ保守の読者が影響を受けないとは言えないだろう。それに曽野綾子は政治評論家でも政治家でもない。慈善家であり、信仰者であり、小説家でもある。影響は大きいだろう。

曽野綾子は政治家橋下徹ではなく人間橋下徹を論じたのだというかもしれない。しかし、それは佐野眞一の言い分と同じだ。最後に曽野綾子氏が佐野眞一氏の記事についてコラムの冒頭部分で述べたことをそのままお返しする。「品性の卑しい記事というものは他にもたくさんあるが、これほどのものは珍しかった。」
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2013.07.15[Mon] Post 11:09  CO:0  TB:0  曽野綾子  Top▲

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